「子どもが◯◯な時ぐらいせめて母親がみるべきだ」という口実は、母性を武器に共働き家庭への実質的な支援を遅らせている
「◯◯の時ぐらいはお子さんと一緒に過ごしてあげないと“お子さんがかわいそう”」…
各自治体が多様な子育て支援を打ち出している昨今ですが、そのいっぽうでいまだに、現場である保育士・幼稚園教諭、学校教諭等々からこのような言葉が発せられることは少なくありません。
先日、「子どもに熱が出たからすぐ迎えに来てほしい」と学校から連絡があったが、どうしても仕事から抜け出せず、2時間後にやっと保健室に駆け込むことができた時に、「お子さん、熱があがってかわいそうでした」と言われ、子育てと仕事の両立に自信がなくなり落ち込んだ、という話をお聴きしました。
恵泉女学園大学学長で、港区の子育てサポートハウス等を運営するNPO法人あいポート代表でもある大日向雅美先生( http://www.ai-port.jp/ohinata/ )は、専門学校の講師をされていたときに、「子どもがかわいそうでしょう」という言葉は、働く母親を追い詰めると共に、保育者としての専門性を自ら放棄する言葉でもあるから、できるだけ用いないように繰り返し指導されてきたそうです。
大日向先生はご著書「母性愛神話の罠」(日本評論社)の中で、母親が迎えの時間に遅れた時に「子どもがかわいそうですよ」と投げかける保育者の言葉について「保育者の専門性」にかかわると厳しく指摘されています。
親が決められた迎えの時間に遅れて良いというのではけっしてない。しかし、仮に親の迎えが遅れていたとしたら、子どもにさみしい思いをさせないように楽しい保育を工夫するのが保育者の本務である。
保育者も勤務時間があるのであって、親の一方的な都合でそれが乱される問題点は、子どもの問題ではなく、親と保育者の問題である。互いに働く者どうしの労働問題として語る姿勢が必要である。「子どもがかわいそう」という言葉で母親にせまるのは、母性を語って問題の根本をずらしてしまう欺瞞に過ぎない。
また、子どもが病気のときの対応についても次のように言及されています。
子どもの具合が悪い時には、家でゆっくり休ませることができるよう、親の労働環境の整備が必要なことは無論である。しかし、それが可能な職場や家庭環境であるか否か、常日頃から家庭や親の仕事の実態を把握しておく、子どもの様子を見ながら保育所側で対応がとれるような処置を準備しておくのも、本来は保育者側の努めではないだろうか。
「文京区子育て支援に関するニーズ調査・平成26年3月」では、子どもの病気やケガで保育サービスを利用できなかったり、学校を休んだりした際の対処方法について、仕事を休んで看護できなかった理由は「仕事を休んで看ることは非常に難しかった」と回答した保護者は、小学生で30.9%、就学前で40,6%となっています。
この数字から推察しても、発熱等で具合の悪くなった子どもが親の迎えを安心して待っていられるスペースの確保や対応が急務だと思います。
しかし実際のところ、そうしたスペースの確保は私立ではなかなか難しい実態があるのは否めません。
病児・病後児の保育の拡充とともに、子どもの具合が悪くなった時の幼稚園・保育園・学校等からの呼び出しに、親が応えられる労働環境を整えるべく社会的理解を促進していくことが重要です。
と同時に、すぐに駆けつけられない時には子ども達が安心して休んでいられるような環境整備を、自治体としても事業者に支援していくことが必要です。
6月議会では、待機児童の解消とともに、子どもの具合が悪くなった時の子育て支援策についても多様な角度から審議をし、安心して子どもが育つ環境を拡充していく提案をしていきたいと思っています。
利用してお気づきになったこと、利用する気にならなかったこと、こんなのがあればいいなとお感じのこと・・・などなど様々なご意見をおきかせ下さい。
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