令和8年6月文京区議会本会議質問(3/3)

6月に私、海津敦子が本会議で一般質問を行いました。
区長・教育長それぞれへの質問と、それぞれの答弁を一問一答形式に編集して共有します。
また、各答弁に対する「海津の考え」も付記しました。長いので、3回に分けて投稿して行きます。
ぜひ、お時間のある時に、ご興味のある項目をご覧の上、区長・教育長の考えにご注目頂き、ご意見を聞かせて下されば嬉しいです。

8.海津質問

教育長に伺います。

現在、文京区立中学校において、自らの意思で私服を選んで通学している生徒がいます。

その子は、標準服そのものを否定しているわけではありません。

「自分で選びたい」という思いから私服を選びながら、式典では自ら判断して標準服を着ています。

私は、この姿は単なる反発ではなく、場面に応じて考え、自ら判断しようとする主体的な姿だと感じています。

一方で、学校からは、

「標準服でないと本校の生徒と分からず、安全上の問題がある」

との理由で指導され、標準服登校に戻した事例もあると聴いています。

私は、安全を大切にする学校の考えを否定するものではありません。

しかし、子どもの「自分で選びたい」という思いを制限するのであれば、私たち大人には、きちんと説明できる理由が必要ではないでしょうか。

そこで教育長に伺います。

文京区立小学校は全校が私服登校です。それでも学校生活も安全管理も成り立っています。

だとするならば、なぜ中学校だけ標準服が必要なのでしょうか。

子どもたちの

「なぜ小学校ではよくて、中学校ではだめなの?」

という素朴な疑問に、区教育委員会として、どのように説明するのでしょうか。

小学校と中学校で何が異なり、どのような根拠で整理しているのか伺います。

次に伺います。

区立中学校では、「標準服着用」が生活の決まりとして位置付けられています。

文部科学省は、校則について、その必要性や合理性を説明できること、また社会状況や子どもの実態に応じて見直すことを求めています。

そこで伺います。

区教育委員会として、各校が何の目的で、どのような理由から「標準服着用」を定めているのか、確認しているのでしょうか。

また、「標準服」とは、学校が示す推奨の服装なのか、それとも実態として着用を求める事実上の義務なのか。

「標準」と言いながら、実態が強制であるなら、その整理は必要ではないでしょうか。

区として、標準服をどのように位置付けているのか伺います。

最後に伺います。

学校は、「ルールだから守る」だけでなく、

「なぜ必要なのか」を考える力を育てる場でもあるはずです。

子どもの権利条例の観点からも、子どもが自ら考え、選ぶ権利が守られるよう、区として一定の判断基準や考え方を整理する考えはあるのか、教育長の見解を伺います。

8.教育長答弁

区立中学校の標準服に関するお尋ねですが、学校教育において、社会規範の遵守について適切な指導を行うことは重要であり、学校の教育目標に照らして定められる校則は、教育的意義を有するものと考えております。

標準服については、区立小学校とは異なり、各中学校が永きにわたる伝統や校風により校則の中に定め、生徒の実情や各校の特色等を生かして運用してまいりました。

なお、小学校については、教育委員会において、これまで保護者やPTAから標準服に関する具体的なご要望はいただいておりません。

生徒や保護者の方々には、入学説明会や日頃の学校生活の中で、学校生活のきまりや校則についてきめ細かく説明し、それに基づいて、生徒指導を行っております。

標準服着用については校則に明記されておりますが、校則の変更については、生徒たちが話し合い、変更していくことができます。生徒会が中心となって標準服について議論し、各校・地域に合った形を模索している学校もあります。生徒会活動などをとおして、生徒が各校の校則や標準服について、自主的・主体的に話し合い、考えることは、自らの学校生活の充実や向上に向け、協力し合う良い機会であると考えております。

生徒から標準服や私服の着用など、校則の見直しについて希望があった場合、各校において、生徒や保護者、地域の方などと十分に話し合うことが必要であると認識しております。引き続き、生徒が自分事として標準服含む校則の意味を理解し、自主的に校則を守るように指導してまいります。なお、標準服のあり方については、時の変化や生徒のニーズに応じて議論し、柔軟に対応していくべきものと捉えております。

8.海津の考え

生徒自身が校則について話し合い、変更していくことができると示されたことは重要です。

しかし、校則を見直す責任を、子どもたちだけに負わせてはならないと考えます。

子どもから「変えてほしい」という声が上がるまで、現在の校則に子どもたちが納得していると捉えるのではなく、まず学校や教育委員会自身が、

「なぜ、このルールが必要なのか」

「今の時代にも必要なのか」

「子どもの権利を必要以上に制限していないか」「その制限には合理的な根拠があるのか」

と、批判的思考をもって不断に問い直すことが必要です。

その上で、子どもたちにも「このルールをどう思う?」と問いかけ、意見を聴き、一緒に考えていく。

子どもが声を上げたら初めて見直すのではなく、大人の側からも、今あるルールを当たり前とせず問い直す。

それが、子どもを権利の主体として尊重する学校のあり方だと考えます。

9.海津質問

教育長に伺います。

今回の障害児実態調査で、

「学習についていけない」と回答した子どもが34.6%に上りました。

3人に1人を超える子どもが、学校での学びに困難を感じています。

私は、この結果を、子どもの努力や能力の問題として片付けるべきではないと考えます。

障害の社会モデルに立てば、困難の原因は子ども個人ではなく、学びを阻む環境側のバリアにもあります。

つまり、

「子どもが学校に合わせられない」のではなく、

学校の側が、多様な子どもたちに合わせ切れていないという課題ではないでしょうか。

さらに今回の調査では、保護者が、差別や必要な配慮が十分でないと感じる場として、「保育園・幼稚園・学校」が最も多く挙げられました。なぜでしょうか。

本来、安心して学べるはずの場所が、最も困難を感じる場になっているとすれば、深刻に受け止める必要があります。

これは、善意や配慮の問題ではありません。

子どもの「学ぶ権利」の保障の問題です。

そこで伺います。

教育委員会は、今回の調査結果を、「子どもの課題」ではなく、「学校環境のバリアの課題」として、どのように受け止めているのでしょうか。

また、学習のつまずき、感覚過敏、集団適応、意思表出の難しさなど、多様な困難を抱える子どもたちに対し、通常学級の中で、合理的配慮や環境調整を、今後どのように進めていく考えなのか、具体的に伺います。

あわせて、スクールカウンセラー、スクールソーシャルワーカー、OT、ST、学校図書館司書などの専門職を、個別対応だけで終わらせず、チームとして「困ってから支援する」のではなく、「困る前に環境を整える」学校づくりへ、何をこれまでと変えて、どのようにつなげていく考えなのか伺います。

最後に伺います。

私は、子どもが学校に合わせるのではなく、学校の側が変わることこそ、インクルーシブ教育の土台だと考えます。

教育長は、学校現場の「学びのバリアフリー化」を、今後どのように進めていく考えなのか、具体的に伺います。

9.教育長答弁

障害の社会モデルについてのお尋ねですが、

障害者権利条約の理念を踏まえ、すべての人々が障害のある人に対する差別を行わないよう徹底していくとともに、障害のある人への社会的障壁を取り除くことは社会の責務であると認識しております。

区立学校では、多様な教育的ニーズのある子どもたちが安心して学べるよう「個別最適な学び」と「協働的な学び」を推進するとともに、「チーム学校」として子どもたちの実態に応じた適切な支援を行っているものと認識しております。

一方、保護者の方に十分にご理解をいただけない場合もあることは認識しており、今後も子どもを中心とした建設的対話を学校と保護者が続けていくことが必要であると考えております。

次に、学校では子ども一人ひとりの特性に配慮ができるよう努めておりますが、

今回の文京区障害者(児)実態・意向調査の結果も踏まえ、適切に対応してまいります。

各学校においては、各種校内委員会を中心として、専門職も含めチームで子どもたち一人ひとりの実態をアセスメントするとともに、支援策を検討し、合理的配慮や境調整について、組織全体で対応を進めてまいります。

なお、一部の学校へは、作業療法士を定期的に派遣しており、その効果を検証しながら各学校の要望や状況に応じて引き続き支援してまいります。障害の有無に関係なく、すべての子どもが安心安全に学校生活を送ることができるよう、子どもの困り感に対しては、組織的に個に応じたアプローチをしていくことが必要であると捉えております。引き続き、国や都の動向も注視しつつ、保護者・地域の声に耳を傾け、子ども一人ひとりが充実した学校生活を送れるよう努めてまいります。

9.海津の考え

教育長が、「障害のある人への社会的障壁を取り除くことは社会の責務」と明確に答弁したこと、また、合理的配慮や環境調整を専門職も含めて「組織全体で対応する」としたことは評価したいと思います。

一方で、気になった答弁もあります。

教育長は、「保護者の方に十分にご理解をいただけない場合もある」と述べました。

しかし、私はここにこそ、学校の側から考えてほしい課題があると思います。

学校は、本来、教育のプロフェッショナルの集団です。

子どもたちに学ぶ面白さを伝え、知的好奇心を育み、一人ひとりが「分かった」「もっと知りたい」と思える学びをつくる。そのために何が必要なのかを考えるのは、まず学校の役割ではないでしょうか。

保護者が子どもの困りごとを訴え、合理的配慮を求めて初めて学校が動くのではなく、学校自身が、

「この子は何ができないのか」ではなく、

「何を変えれば、この子は学びやすくなるのか」

と考え、必要な環境調整を提案していく。

それが教育の専門性だと考えます。

そして、学校が「できない理由」を説明し、それを保護者が受け入れなかった時に、「保護者に理解していただけない」と捉えるだけでは、建設的対話にはなりません。

問われるべきは、

本当にできないのか。

別の方法はないのか。

学校のこれまでのやり方を変えることで可能にならないのか。

ということではないでしょうか。

もちろん、すべての要望をそのまま実現することが合理的配慮ではありません。 

だからこそ、できる・できないを学校だけで決めるのではなく、子ども本人の声を中心に、保護者、教員、そして必要に応じてOTやSTなどの専門職も一緒になって、よりよい方法を探していくことが大切です。

今回の調査では、「学習についていけない」と感じている子どもが34.6%に上りました。

3人に1人を超える子どもが困っているのであれば、もはや一人ひとりの子どもだけの問題として捉えることはできません。

保護者から合理的配慮を求められるのを待つ学校から、学校自身が学びのバリアを見つけ、取り除いていく学校へ。

子どもが学校に合わせるのではなく、学校もまた、多様な子どもたちに合わせて変わっていく。

私は、そこまで進んで初めて、「障害の社会モデル」に基づく学びのバリアフリーになると考えています。 

3人に1人を超える子どもが困っているのであれば、もはや一人ひとりの子どもだけの問題として捉えることはできません。

保護者から合理的配慮を求められるのを待つ学校から、学校自身が学びのバリアを見つけ、取り除いていく学校へ。

子どもが学校に合わせるのではなく、学校もまた、多様な子どもたちに合わせて変わっていく。

私は、そこまで進んで初めて、「障害の社会モデル」に基づく学びのバリアフリーになると考えています。

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