「こども家庭庁」発足で文京区は変わるか!? 障害のある子の親は働けない「中一の壁」
目次(クリックすると移動します)
◆ 「ずっと多数派」で創る社会
大多数の人たちは、自分はもとより、自分の家族が社会や生活の中で「多数派の中にずっといる」と、無意識に考えているのかもしれません。もしくは、そうあってほしい、と。
その裏返しからか、少数者のことには、耳をふさぎ、目を伏せ、困っている人のことなど想像すらしないようになってしまうのかもしれません。
私自身は、子育てをしていて、少数者の子育てに属することになるとは考えたこともありませんでした。ただ、今、振り返ると、「考えたくなかった」のかもしれません。
子育ての全体数からみると障害のある子を育てるのは少数派。まさか、自分が障害のある子を育てることになるなど考えたこともなく、障害のない子どもと家族を前提にした子育てをしていくものと思いこんでいました。
社会を見渡すと、制度も仕組みも、公共施設でさえも、障害のない人を前提に作られているものが大多数です。
例えば、文京区の災害対応では、車椅子で避難する方などいないかのごとく、避難所となる学校の体育館が2階以上にあっても階段しかない小中学校が多々あります。エレベーターの後付けは遅々として進みません。
街中は、車道と歩道の段差があり、車いすでは危険な箇所も多くみられます。
「障害がある」だけで、地域の学校から「お子さんのためには他を」と入学を断られることもまれではありません。
しかし、当たり前ですが、誰もの周囲には少数派の人、例えば、障害のある人、子どもたち、その家族が必ずいます。
その当たり前を置き去りにして、多数派を前提に作られた制度や仕組み、施設で、様々な差別感や疎外感を感じている人々がいる現実を受け止め、改善する必要があります。
そもそも、私たち誰もが、明日、少数派になるかもしれないのです。
少数派の人たちの暮らしも考え、制度等をつくることは、困る人が減るだけのことで、誰も不幸にはなりません。
◆ 「ユニバーサル社会実現」機運に現実は追い付かず
東京オリンピック・パラリンピックを契機に、年齢、性別、国籍、個人の能力に関わらず、一人ひとりの多様性が尊重され、あらゆる場面で社会参加ができる環境を整える「ユニバーサル社会」の実現を目指す考え方が進んできました。
また、これに先立って、2018年には、「ユニバーサル社会の実現に向けた諸施策の総合的かつ一体的な推進に関する法律」も施行されています。
この法律の冒頭「目的」には、「全ての国民が、障害の有無、年齢等にかかわらず、等しく基本的人権を享有するかけがえのない個人として尊重されるものであるとの理念にのっとり、(中略) 、ユニバーサル社会の実現に向けた諸施策を総合的かつ一体的に推進すること」と明記されています。
板橋区は、ユニバーサルデザインをベースに全ての事業を進めるための基本的な考え方をホームページで明らかにしています。
- 「すべての人」が対象
- 「はじめから」の発想
- 「ハード・ソフト両面から最適な手法をめざす」という姿勢
- 「本来の価値・感性価値を配慮し提供する」という姿勢
- 「絶えず改善を考え、実践し続ける」という姿勢
文京区には、板橋区のような事業を構築する際の職員全員が持つべき軸を持っていません。それだけに事業に関わる職員の感覚次第で事業が考えられてしまう傾向があります。
ただし、文京区ばかりではないというのも実情です。
障害がある人たちに限らず、事業の対象から外されるという様々な「社会の障害」によって、今も苦難を強いられている方たちがいるのが現実です。
私は、区議になってからの3期12年、誰かを排除する制度や仕組みは、いつか自分や家族が排除されることになる、と強く思って来ました。そういう視点から、教育・子育て、福祉、まちづくり・・・等の各事業をチェックし、改善のための提案を重ねています。が、残念ながら、まだまだです。
多様な人を思い描いたユニバーサルデザインで事業が作られても、それが単発で終わり、その後の事業は、「すべての人を対象」とならいことが後を絶ちません。
◆ 子育てと仕事の両立支援から「取り残される」障害のある子の親
今回、とりあげるのは、「子育て」。
国も各自治体も、「子育てと仕事の両立」支援を掲げています。
が、ユニバーサルデザインの「すべての人が対象」という考え方にも関わらず、障害のある子どもの家庭には、支援は届かない。まるで、「障害のある子を産んだのは自己責任だ」と言わんばかりに、家庭に丸投げしている現状です。
子育てしやすい地域づくり等を目的とした「子ども子育て支援法」では、障害のある子の家族支援を外しているわけではありません。子育てと仕事の両立に向けた支援が、「小学生までで良い」などとも書かれていません。
ただし、子育てと仕事の両立について、小学生までは自治体の責務として触れられていますが、中学生以降については書かれていません。
だから、自治体は、「やらなくていい」と考えてしまっているのかもしれません。
◆ 医療的ケア児 専門性はお金をかければ担保できる
医療的ケアが必要な子どもの親は働けなくなることも少なくありません。
そういった家庭が突きつけられる現実は、幼稚園や保育園、小学校以降、医療的ケアの必要性を理由に、入園・入学を断られる、または、難色を示され、保護者があきらめるような方向へと仕向けられる、といったことが慣例になっているといっても過言ではありません。
断る理由で一番に挙げられるのが、「専門性が必要で、安全面に十分な配慮をしないと命の危険があるので難しい」ということです。
ですが、ここでみなさんにお伝えしたいのは、
医療的ケアが必要な子の親は、特別な専門知識を持つ親が選ばれて親になったわけではないということです。
子どもに医療的ケアが必要で、育てる日々の中、医療スタッフ等々に色々と教えてもらいながら、子どもに必要なスキルを身に付けてきているにすぎないのです。
学校が主治医と連携を図ると共に、学校内における看護師の支援と、保育・教育環境を整備すれば十二分に保育園や学校等での生活は可能です。
「障害はその子にあるのではなく、人を含め、社会の側にある」ということです。 近年、先進国のスタンダードな考え方では、これを「障害の社会モデル」と呼び、「この障害を取り除くことは社会の責務である」と認識されています。
ただ、現実的に、社会の側にある「障害を取り除く」にはお金が必要になる、というだけです。 すべての子どもが安全に過ごすために、お金をかければいいだけなのです。
なぜ、お金をかけないのか? 合理的な理由は見出せません。
◆ 立ちふさがる「中一の壁」と区が見たくない「不都合な真実」
障害のある子どもの保護者が、子育てと仕事の両立を願っても叶わない現状は、医療的ケアが必要な子どもの保護者だけに限りません。
障害のある子が中学生になると、「子育てと仕事の両立」のための支援がなくなってしまう「中一の壁」があるのです。
保育園の待機児童解消には、国も自治体も全力をあげて取り組んできました。学童保育についても拡充に力を入れます。家賃助成や人件費への補填等々、事業者が開設しやすいように制度を作ってもいます。
が、障害のある子の中学生以後のことには、まるで関心がないかのように「子育てと仕事の両立」を支援する制度はなくなります。
本来であれば「生活が継続」できるように、「切れ目のない支援」を継続することは、行政が事業を構築するうえで重視すべき、なくてはならない視点です。
にも関わらず、小学6年生3月31日までは、仕事と両立できるように行政が支援を提供しながらも、中学1年生4月1日からは素知らぬふりです。
まるで、子どもが中学生にもなれば、それなりに成長し、「子育てと仕事の両立」は家庭の工夫次第で可能だろう・・・とでも考えているかのようです。たぶん、そのように「考えたい」のだと思います。
3月に実施された文京区議会予算委員会では、その点について質疑をしました。が、区は、まったく危機感をもっていませんでした。
障害のある子の実態調査についても、かつては、保護者に対して、「悩み・不安」を質問する中に「仕事との両立が難しい」という項目があり、約43%が難しいと回答しています。
当然、「子育てと仕事の両立」を支援する、と謳う文京区ですので、調査し、明らかになった悩み・不安を解決するための施策を整備する必要があります。
ところが区は、昨年、2022年度に実施した実態調査から「子育てと仕事の両立が難しいかどうか」を問う設問を削除してしまいました。
自分たちにとって不都合でやりたくない、「臭いものには蓋」とでもいうような、障害のある子どもの家庭において「仕事と両立」が困難な現状と、支援の必要性を「明らかにしたくない」との意図が透けて見えます。
要は、本気で障害のある子どもの家庭に対して、子育てと仕事の両立を支援する気がないのです。無頓着過ぎて、実態を知らなさ過ぎです。「知りたくない」のかもしれません。
親にとって、障害のある我が子の子育てが「ずっと続く」以上、「子育てと仕事の両立」も「ずっと続ける」必要性があることを全く理解していないのです。
◆ 障害のある子を産んだ「自己責任」!?
区は、放課後等デイサービスを活用すれば「子育てと仕事の両立」は図れるだろう、と安易に考えています。が、あまりにも実態を知らな過ぎです。
地域の放課後等デイサービスに通うにも、毎日通えるとは限らず、夏休みは10時~16時まで。放課後も17時~18時に終わるところがほとんど。短いところだと、1時間程度という放課後等デイサービスも少なくありません。まして、どこも待機状況で、必要とする人に見合うだけの放課後等デイサービスはありません。
預けられる時間も短く、学校からの移動の問題もあり、仕事を続けることが困難になるのです。医療的ケアの必要な子の受け入れ先はさらにないのです。
「子どもに障害がある、というだけで働けなくなる世の中はとてもおかしい」と、保護者達からは悲鳴が多々届きます。
一般的には、中学生以上になれば一人で留守番ができて、保護者は安心して仕事もできるという家庭が多数派だからなのでしょう。
障害のある子の保護者の1人は、「障害児の預け先、親の働き方が「運」で決まってしまうことには納得がいかない」と言われます。
まさに、その通りです。
◆ 障害の有無に関わらず、家庭に押し付けず「社会で育てる」!
障害のある我が子を育てることは、生涯にわたり続きます。
中一の壁だけでなく、成人した後の障害のある人たちが通う通所施設は、幼稚園の終了時間と変わらないぐらいの3時過ぎには終わってしまうようなところも少なくありません。朝も9時過ぎからのような状況で、障害のある子の保護者が就労を継続する困難は、ずっと続きます。
障害のある子のきょうだいが、保護者にかわって介護を担うヤングケアラーにならざるを得ない可能性も増大させます。
障害のある子どもの家庭は離婚率も高く、家庭崩壊の問題もあります。
親の介護のために就労を断念するということも含めて、そもそも、家族を前提とした介護のあり方を抜本から見直すことが必要です。
そのためにも、各施設の職員の待遇改善や人数あたりの配置数などの見直しを進めることが待ったなしです。
これまでは、「障害のある」と付くだけで、子どもや子育ての政策から切り離されて考えられてきた側面があります。その根底には、障害のある子どもを産んだ自己責任を前提にしたような考え方が、根深く浸透しているように見受けられます。
児童虐待、いじめ、貧困対策など、子どもに関わる業務を幅広く担当する子ども政策の司令塔として、4月1日「こども家庭庁」がスタートしました。
従来は、厚生労働省の中で、障害のある大人から子どもまで一括して支援していた部署から、「障害のある子どもへの支援」がこども家庭庁に移管されました。
すべての子どもは、障害の有無に関わらず、子どもとして支援していく姿勢が打ち出されたのです。
障害児施策を一般施策と別のものとして考慮するのではなく、同じ子どもとしての連続線上で考えていく必要がある、という捉え方です。
文京区はどうするのでしょうか?
従来通り、「障害」というくくりで、所管部門や予算を別にしたまま、障害のある子どもと家庭への施策を考えるのか、あるいは、すべての子どもを対象に「障害の有無にかかわらず」、「同じ子どもとして」考えていくように、組織改革も含めて舵を切った上で、障害のある子ども・家庭についても、より丁寧に支援していくのか、重要な岐路に立っています。
今の時代、全ての取組みに「ユニバーサル社会」を目指す軸が求められている、と私は考えます。
子どもは未来そのものであり、希望です。
障害の有無に関わらず「子どもは誰も、社会で育てていく、私たちみんなの子どもとして」
文京区として、国の動きを待たず、自ら動き、改善することを求めていきます。
自治体が実践を見せてこそ、国が動くのです。
日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策) また、他者を誹謗中傷していると判断したコメントは削除させて頂く場合がありますので、ご了承ください。