新型出生前診断の検査拡大について厚労省が検討開始~障害児の子育て、教育・福祉の公助拡充を
あなたなら、どうしますか?
身ごもったおなかの子に障害があると診断されたら・・・
目次(クリックすると移動します)
◆検討部会の議論の焦点
技術の進歩によって新型出生前診断(NIPT)が可能となり、妊婦の血液からおなかの赤ちゃんの情報が詳しくわかる時代になっています。例えば、ダウン症など染色体異常がないかを調べることができます。
日本産婦人科学会は、新型出生前診断の検査の前後には、検査を受ける妊婦や家族等に十分な遺伝カウンセリングを実施し、検査の意義や限界などついて正しい情報提供を行うことを前提に、大学病院等の施設109カ所に対して、新型出生前診断の実施を認めてきました。
NIPTコンソーシアム
http://www.nipt.jp/
一方、ここ数年、カウンセリングを実施せず「妊婦から血液を採取して検査に回し、その結果をお知らせして終わり」という無認可施設の問題が浮き彫りになってきています。
28日、厚生労働省は、「新型出生前診断をどのように実施すべきか」「妊婦・家族への情報提供のあり方」などを、新たな検討部会を立ちあげ議論をスタートしました。
議論の焦点としては、
日本産婦人科学会がまとめた、妊婦支援が可能な地域のクリニックでも新型出生前診断を受けられるようにする検査施設の拡充についてで、来年、報告書の取りまとめを目指しています。
日本経済新聞の記事 https://www.nikkei.com/article/DGXMZO65566690Y0A021C2CR8000/
◆あなたなら、どうしますか?
来月22歳になる3番目の子どもには重度の知的障害があります。
一人目の妊娠時にお腹に針を刺し染色体異常があるかどうかを検査する当時の出生前診断を受けるかどうか迷いました。が、身体の負担が大きいこと、仮に染色体異常があった場合に産むか産まないか相当に悩むようになるだろうと考えて実施せず、そのまま3番目まで検査は受けていません。
3番目の子に知的障害がわかったのは1歳半ごろで、染色体の検査もしましたが、異常はないという結果でした。
仮に、3番目がお腹にいるときに検査を受けていても、ダウン症などの染色体異常はないという限定的な情報で、知的障害があるという情報はなかったんだな、と時折思いを巡らします。
生まれてくる子どもの病気や障害等の情報を親はどこまで知るのがいいのでしょうか。
今の自分は以前よりも、検査を受けるかどうか・・・悩みます。
◆検査陽性の約9割が中絶を選択
認定を受けた「NIPTコンソーシアム」によると、新型出生前診断検査後に羊水検査などで陽性が確定した妊婦の内、約9割が中絶を選んでいるとのことです。
検査を受けるか受けないか、いずれにしても主体的な選択を十分に支援する体制づくりが必須だと思います。
産まない選択をした人への心と体のケアを丁寧に行っていく体制も重要です。
陽性で中絶を選んだ理由の中には、育てることの大変さを思い描かれた方も大勢いたかと思います。
◆障害のある子の子育てにもしっかりした公助を
障害のある子の親たちの多くは、今の社会における、障害の有無による子育て環境の大きな違いを日々痛感しています。
そうした事実を、新型出生前診断の前に知っていたとしたら、どうでしょう?
ちなみに、文京区が平成26年に行った調査では、以下の通り、障害の有無によって「子育てが辛いと感じる」比率に大きな違いがあります。
子どもに障害があることは、地域で育つこともままならない厳しさ、仕事も続けられるかどうか難しい、そうした厳しい現実を、もし、情報として知っていたなら、どうでしょう・・・
けれどもそれらは、「公助」がしっかりとあれば、大変さが激変、激減します。
命の選択、おなかの中の小さな命・・・
小さな命に大きくかかわる新型出生前診断の活用を議論する際には、障害のある子、その家族を公助でどのように支えていくのか? 例えば、地域で当たり前に教育を受ける権利をどうやって守っていくのか? 保護者が仕事の継続を望んだ場合には、仕事と子育ての両立をどう担保していくのか?
そうしたことを十分に検討し、報告書に織り込む必要があると考えます。
◆総合戦略に掲げる「地域で安心した生活」
文京区の最上位の計画である「文の京 総合戦略」では「子どもたちに輝く未来をつなぐ」を基本政策のひとつとして、「子どもの発達に寄り添った支援体制の整備」を主要課題とし、4年後の目指す姿を次のように掲げています。
「子どもの成長に寄り添った支援体制や社会資源の整備が進められ、障害児等がそれぞれの状況に応じた必要な支援を受け、地域で安心した生活を送っている」
この「地域で安心した生活を送っている」のは、乳幼児から高齢者まで、まして、障害の有無に関わりなくすべての人の願いではないでしょうか。
ところが、障害のある子を育てて多くの保護者が痛感するのが、「地域で安定した生活を送る」ことの難しさです。
だからこそ、あえて「4年後の目指す姿」に書き込まれています。
◆「障壁」は行政の意識
障害のある子の子育てを難しくする「障壁」となっているのが、自治体、教育委員会、保健所といった行政の意識です。
障害のある子を育ててきて、行政への怒り、悲しみ、失望を一度でも抱いたことがない人はまれだとも思います。
「障害のあるお子さんのためには」という枕言葉をつけて、例えば、療育では「母子通園」を求められる等で、「子育てと仕事を両立」させることが阻まれます。
「お子さんのためには」と、地域の幼稚園や保育園、学校で育つことを拒まれます。
「困りましたね。でも障害があるお子さんを育てる親御さんは、みなさん頑張っていますよ」と、支援を求めると遠回しに「さらに自助で頑張る」ことを求められます。
◆実例:地域に特別支援学級開設要望への区の対応
実例として、文京区教育委員会の対応を紹介します。
ある保護者が、きょうだい揃って地域の学校で育つことを願い、上の子どもが通学する地域の学校に特別支援学級を開設することを要望しました。
その要望では、地域の学校に通学できないことで生じる不利益も具体的に書き添えました。
例えば、障害のある子どもが住んでいる学区の学校に特別支援学級がなく、地域から離れた特別支援学級に行かざるを得ないことで生じる不利益は次のようなことがあります。
- きょうだいの学校が違うため、行事が重なれば、片方にしか親は行けない
- 学区よりも通学距離が遠いために、登校下校、送迎の負担が重い
- 地域から離れた生活圏外にあることから、障害のある子の現所等を知ってもらう機会が損なわれる
- 災害時に、避難所となる学区の学校に対してなじみがないことから、避難に支障をきたすことがある
- 就学前に通っていた保育園・幼稚園で育んだかかわりが、学区から離れた学校に行くことで薄れていく
特別支援学級が学区にないことで生じる不利益を書き添えた上での要望に対して、文京区教育委員会の回答は、まるで日本学術会議の任命問題のようで、任命の問題と組織の在り方の問題をごっちゃにしているような、次のようなものでした。
特別支援学級を開設しても3~5人しか来ないと思うので、目標とする2クラス編成ができませんので作りません。
文京区教育委員会
学区に特別支援学級がないことに対して生じる不利益を解消するための回答はまったくありませんでした。
本来、教育委員会が考えるべきことは、2クラス編成にすることではなく、公立小中学校の役割として、「地域で生活するすべての児童の学習を保障し、教育の質を担保すること」です。そのためにも、不利益をそのままにしていいはずがありません。手段と目的を取り違えている典型例と言えます。
そもそも3~5人「しか」ではなく、3~5人「もの」子どもが特別支援学級を必要としている、となぜ思えないのでしょうか。
1人でも特別支援学級の設置を望む児童・保護者がいるのならば、その意向を理解し、やらない理由をくっつけるのではなく、どうやったら出来るかを考えて進めて欲しいものです。
文部科学省は、一人でもいれば特別支援学級の設置はできると言っています。
地元の学区の学校に通学できなくても、文京区は小さな面積なのだから、学区外の学校でも学区と思えばいいんじゃないですか。
文京区教育委員会
と、教育委員会の幹部は他人事のように言います。列記した「不利益」は見なかったことにしているのでしょうか。
学区に特別支援学級の開設を拒む教育委員会の姿勢からは、「障害のある子は不利益を受けてもしょうがない」という人権感覚のようにも映ります。
◆全学校に特別支援学級を設置する自治体も
東京都の特別支援学級設置の方針は、拠点校方式のままです。
都に取材すると、「特別支援学級を設置するかどうかの判断は市区町村であり、特別支援学級を新設する判断をすれば、開設について協議をする」との見解でした。
つまりは、市区町村しだいです。
◆障害の有無に関わらず誰もが生まれて良かったと思える社会へ
子どもたちが、障害の有無に関わらず、共に学校生活を過ごす体験は、これからの社会をどう築くかにも密接な関係があると思っています。
- 障害があることで、地域から切り離されることはない
- 障害のある子のきょうだい・親が、生き方を狭められることはない
- 障害のある子に親がかかりきりで、きょうだいが寂しい思いをすることはない
・・・といった実体験や、身近で見聞きし肌で感じる「理由をつけて排除しない、されない」体験は、自分がどんな状況になっても排除されない安心感を抱き、誰もが生きやすい社会につながると思えてなりません。
インクルーシブを実現し話題になった映画「みんなの学校」の大阪市立大空小学校の元校長、木村泰子さんは「地域に生きるすべての子どもが地域の学校で安心して学び合う事実をつくることが校長の責任です。」と語られるとともに、保護者から「彼に必要な学力はいつも周りの子どもと一緒にいることが当たり前の空気を吸い続けることです。先生たちがどれだけがんばって彼にスキルをつけようとしてくれても先生たちはこれから彼と一緒に生きる人たちではないですよ。周りの子どもたちから彼が学び取る力を信じてやってください」と言われたことが、「すべての子どもの学習権を保障する」を学校の理念とする、「みんなの学校」の復元力だと語られています。
教育zine 木村康子さんの寄稿記事 https://www.meijitosho.co.jp/sp/eduzine/finc/?id=20180699
◆最後に・・・
障害の有無に関わらず、誰もが「生まれてきてよかった」「産んでよかった」と言えるように支える社会制度。
「生まれてきてくれてありがとう」と伝えられる社会の実現のためにも、障害のある子どもを育てることの大変さ、つまり教育や福祉から、障害があるということで排除されてしまう。
このような現実の課題を浮き彫りにして、その解決を直ちに図れるよう、当事者の視点に立った教育・福祉の公助を拡充する重要性について、新型出生前診断のあり方の報告書で示されることを、切に望みます。
“新型出生前診断の検査拡大について厚労省が検討開始~障害児の子育て、教育・福祉の公助拡充を” に対して4件のコメントがあります。
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私自身がASDです。
見た目は普通で、勉強も出来たので、普通に大学を卒業することができました。
しかし、人間関係は壊滅的でした。
職を転々とする日々が続き、30後半まで、ひたすらグチを言うだけの日々でした。
私には、中学からの親友がおり、日々のグチは、その友人と交わしていました。
友人も、私と同じく、社会に馴染めず、いつも批判されてばかりの、つまらない人生を送っていたのです。
しかし、30代真ん中あたりで知りましたが、友人には軽い知的障碍があったのです。
発達障害の私の親友は、軽い知的障碍の人でした。
私に仲間意識が芽生えたと思いますか?
私はひどくがっかりしました。
私のような人間に関わってくれる人は、知的障碍の人しかいないのだと。
そして、日々の鬱憤だけが積もる生活は、私たちが障碍を持っているからだし、他の人たちは、もっとうまく、幸せな生活を送れているのだろと。
つまり、障害者は不幸です。
障碍の中でもごく軽く、普通学校に通えて、普通の職場で働ける私たちでも、幸せにはなりません。
障碍の人を受け入れよう、差別は辞めようだなんて、きれいごとです。
制度が整ったところで、「変わり者を排除したい」人の心までは変えられないのです。
障害者は、生まれないのが一番です。
差別的発言と思わないでください。障害者当事者の発信なのです。
何も支援の届かない我々は、最も苦しい立場にいます。
障碍が見つかったら、産まないでください。それが、唯一の解決策です。
「特別支援学級を開設しても3~5人しか来ないと思うので、目標とする2クラス編成ができませんので作りません。
文京区教育委員会」
には驚きました。教育委員会はまだこんなことを言っているのですね。掲げている主要課題は素晴らしいのに、残念な回答です。
なにより当事者の子どもの利益(不利益)を無視した回答は人権意識が欠如しているとしか思えません。教育委員会は、障害者差別解消法についてどのように考えているのでしょうか?
まさに、残念な回答です!
ご指摘の「当事者の子どもの利益(不利益)を無視した回答は人権意識が欠如しているとしか思えません。教育委員会は、障害者差別解消法についてどのように考えているのでしょうか?」点については、文教委員会で確認をしていこうと思っています。
ご報告させていただきます。
返信ありがとうございます。
よろしくお願いします!