3月になっても就学通知が届かない?~教育委員会の真意は!?

◆学校教育法施行令での規定

公立の小学校・中学校へ入学する子どものもとには、遅くとも1月中に、小学校入学なら「就学通知書」、中学なら「入学通知書」が届きます。入学説明会も終わり、各家庭は、入学準備を進めているころでしょうか。 

公立小学校・中学校の入学日等を1月31日までに子どもへ通知するのは「学校教育法施行令」によるものです。 

自治体によっては、「就学通知書が、2月に入っても届かないようなら問い合わせてください」と丁寧な説明をしているところもあるほど、重要な視点です。 

それはそうですよね。入学する4月の2カ月前までには通知をもらわないと、諸々の新生活の準備ができません。1月31日までを期限にしているのは至極まともなことです。 

◆通知を出していない自治体も

一方、ご存知でしょうか。 

教育委員会によっては、障害があることで入学先などを相談する「就学相談」を利用したお子さんに対して、3月になった今でも、就学通知書を発送していないケースもあるのです。 

そのため、子どもが希望する学校に入れるのか入れないのか、不安な思いを抱えたまま困ってらっしゃる家庭もあります。

◆文科省の見解は… 

文科省に対して、いまだに通知を出していない具体的なケースを説明し、それに対す る見解を尋ねたところ、返答をいただきました。

法の趣旨として、入学の決定通知は、障害のあるお子さんであっても原則1月31日までに出すよう、定めている

文科省

とのことです。

ただし、

各自治体において個々のケースの状況もあるので、1月31日までに出さないからダメとは一概には言えない

文科省

とのことです。

◆教育委員会が通知を出さないケース

ある教育委員会は、就学相談で出した、子どもに適している入学先として「特別支援学校が良い」との判定に対して、保護者が異なる意向で、「特別支援学級」に入学させたいと要望しているケースでは、3月になっても入学の決定通知を出していません。 

これは、教育委員会が、保護者にあきらめさせて、特別支援学校を選択するようにするための策の一つだとも聴きます。 

障害のない子どもたちや、障害があっても就学相談を受けることを選択しなかった子どもたちのもとには、当たり前に入学の決定通知が届き、学校が指定する上履きや制服等をそろえるなどの準備をしていくことができます。  

ところが、就学相談を受けた障害のある子の保護者が、教育委員会の判定と異なる入学先を希望しているといったことだけで、就学通知を受け取れないのです。 

保護者は打ちのめされ、「子どもと共に死ぬことができたらどんなに楽だろう…」そんな思いさえ頭をよぎるとの声も届きます。

◆文科省「就学先決定過程における方針」

文科省が平成25年に出した通知756号の中にある、「障害のある児童生徒等の就学先の決定」で、就学先決定の過程では「保護者の意見については,可能な限りその意向を尊重しなければならないこと」と方針が示されています。 

https://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/tokubetu/material/1340331.htm

なぜ、この方針が活かされていないのでしょうか。

◆通知を出さない教育委員会の言い分

文京区教育委員会に、1月末までに入学通知を発送しない理由を尋ねてみました。 

  • お子さんのために、丁寧に対応している 
  • 子どもの教育の場として、どこがふさわしいのか専門的視点で伝えている 
  • 学校との合意形成ができなければ入学の決定はできない 

いずれも、入学通知を出さないことの合理的な理由には感じられません。 

「保護者が言うとおりにしないから」が本当の理由なのだと 私には聞こえます。 

保護者は、地域の学校で子どもが安心して過ごせるように、教育委員会や学校に伴走してほしいと願い、就学相談を受けているのです。 

にも関わらず、教育委員会の回答に見えるのは、「自分たちの言うことを聞きなさい」という強権的な姿勢です。 

教育委員会が「丁寧に対応している」と言うのは、「自分たちの判断はゆずらない」という意味であり、教育委員会の判定に従わない保護者への「嫌がらせ」であり、「いじめ」であるとしか映りません。 

本人・保護者の意向を可能な限り尊重する」という方針を実行することに意義を感じていれば、教育委員会の判定と保護者の意向が一致していなくても、保護者の意向通り入学の通知を出すのではないでしょうか。

◆合理的配慮を要求させない水際作戦!?

また、障害者差別解消法は、「障害者でない者に対しては付さない条件を付けることなどにより、障害者の権利利益を侵害することを禁止」しています。 

就学通知を出すにあたり、就学相談を受けていない子どもには、「学校との合意形成」を行っていません。 

障害者差別解消法が禁じている、障害者でないものに対してつけない条件を、就学相談を受けた子どもに「条件付与」し、「学校と合意ができてから入学の決定を出す」ということには、強い違和感を覚えずにいられません。差別に感じます。 

学校や教育委員会は、合理的配慮の提供を求められたときに、過重な負担等がない限りは提供しなければなりません。 

学校との合意形成は、合理的配慮を申し出られないようにするための「水際作戦」のようにも見えます。 

教育委員会の判定とは違う選択をするのですから
「~はできません」「~も無理です」
「合理的配慮には応じられないことも多々あることを理解できていますね」 
これらのことを了承して、合意するのであれば入学決定を出せますよ。
合意とは、「それでいいですか?」という踏み絵を踏ませようとしているのかもしれません。 

これが文科省の言う「一概にダメというものではない」ということになるのでしょうか。

◆「お子さんのため」障害児家庭に迫る善意の怖さ

障害のある子の保護者に向けて、教育委員会の判定通りの学校に入学させるように動くことを、担当課は子どものために「良かれ」と思っての「善意」と信じているのでしょうか。 

文科省も障害児家庭には、「善意」で迫るのが大事だと信じているのかもしれません。 

だとしたら、「善意」という看板を掲げることで、行政側に都合の良い様々な判断を正当化し、親を追い詰めていることに危機感を抱けない「仕事」のし方に、怖さを感じます。 

通常であれば、保護者は子どもに受けさせたい教育、環境等々を選択することができます。
例えば、小学校受験に向けて、子どもを塾等で頑張らせるなどしていても、虐待の兆しがない限り、教育委員会は子どものために「よかれ」と思っても、「お子さんのためには受験をやめた方がいいですよ」とは、けして口出しはしません。 

子どもの教育をどこで学ばせるかは保護者が選択するということを「知っている」からです。「受験をやめた方がいい」というアドバイスは、けして「善意」にはならないことがわかっているからだと思います。 

ところが、就学相談を受けた、障害のある子の保護者には、教育委員会が出した適切な教育環境を受け入れるまで、「お子さんのため」という「善意」を盾にして、保護者を追い込んでいくことが少なからずあります。
しかも、保護者が追い詰められていることがわかっても対応を変えません。

そうした仕事の背景にあるのは、「保護者が素直に教育委員会の判定通りの入学先にすれば、追い詰められることもないのだ」ということを保護者に教えることも、教育委員会の使命であり、「善意」なのだと思っているのかもしれません。 

善意だからこそ、なかなか変えられない側面もあるのでしょうか。 

就学相談を見ていると、「障害児に在籍されたら困る。面倒だ。」という「悪意」を持っていてもバレない、問題にならないと、信じているように思えます。 

障害児の保護者から就学相談が「辛い」と改善を求められても、教育長、教育委員は、あくまでも子どもたちのための「丁寧な対応」であり「善意」だと理解し、支持してくれる、と確信しているように見えるのです。 

◆保護者たちの本音

以下は、保護者たちからの声です。 

  • 体験入学をしないと就学通知を出せないと言われた。障害があっても就学相談を受けずに普通に就学通知を受け取り、それから入学前に学校に合理的配慮など相談する人もいる。通常学級を希望した場合は、就学相談を受けない方がずっといい。 
  • 就学相談は、支援をしてくれるところだと思っていたけれど、現状は、学校に忖度して、いかに学校の希望をのんだ親にしてから就学通知を出そうとしているとしか思えない。 
  • 子どものためと言っているが、教育委員会がやっていることは、教育委員会総がかりで、小学校、中学校への新たなステップを喜ぶ気持ちを折っていく。障害児を育てない家庭との違いを味わう辛さをさらに押し付けてくる。 
  • 障害児を穏やかに育てたいなら、教育委員会が言うとおりにしなさい」と就学通知という権力を振りかざして言っているようにしか感じられない。 
  • 国立・私立への受験ではないのに、あたりまえに地域の特別支援学級へ行きたいというだけなのに、障害のある子どもを値踏みして、「~できないなら入学はさせられません」と脅かされているようにしか感じない。 

小学校入学、中学進学、とわが子の成長を喜び、準備を進めていく時期であるはずなのに、「就学相談」を受けたことで、不安と教育委員会への不信、怒り、そして、障害のある子を育てることに障壁が多いことへの悲しみ、切なさを突き付けられてしまう保護者がいる、ということは本当に哀しいことです。

◆行政の役割、「相談」の意味

障害のある子を育てて行くということは、行政への相談がずっとついてまわるということです。 

就学相談で感じた嫌な思いは、今後の相談に対して、高いハードルになります。 

本来ならば、保護者と行政が、信頼関係を築きながら長く付き合って行く必要があるにもかかわらず、行政自らが難しくしています。 


そもそも、教育行政の存在意義をひと言で表すならば、「子どもの最善の利益」のために「最善を尽くす」ことだと思います。
当然、ここで言う「子ども」には、すべての子どもが当てはまるはずです。
文科省の通知、「保護者の意見については、可能な限りその意向を尊重しなければならない」という方針の背景には、保護者が「子どもの最善の利益」を代弁している、という前提があるからだと思います。

相談を受ける側の存在意義は、就学先を判定して振り分け、相談者である保護者と子どもの意向を、自分たちの判定通りに仕向けることではありません。そんな所には誰も相談に行きたくありませんし、それは相談ではなく「裁(さば)く」行為です。
保護者の想いにより添い、同じ方向を見つめながら、両者の間に「子どもの最善の利益」をドッシリと据え、どうしたら具体化できるか、教育だけでなく、人権に詳しい法律家や、障害のある成人した当事者からのアドバイスも含む、様々な専門性をもったチームで、伴走して行くことが、就学相談の本来の役割だと思います。
コロナ禍の中で、相談の重要性がさらに明らかになっています。何のための相談なのか、相談の意味を問い直してほしいと思います。 

◆最後に…

最後に。 

1月31日までに就学通知を出すことを定めた「学校教育法施行令」、障害のない人に課さないことを条件付与することや合理的配慮の否定などを禁じる「障害者差別解消法」、地域の学校で当たり前に教育を受ける機会が与えられること等を謳う「障害者権利条約」等々・・・ 

教育委員会は、これらをきちんと理解しているのでしょうか?  

文科省はどう解釈しているのでしょうか? 

どの法律等も遵守した教育行政であることは最低限、当たり前です。
その上で、教育委員会が、誰よりも「子どもの最善の利益」を常に考え、悩み、もがいている保護者と子どもに寄り添い、自分の願う子育てに「伴走してくれている」と、保護者たちが実感でき、かつ、子ども自身、「障害のある」ということで通常の社会から排除されることなく、安心感と希望を持って過ごせるような教育行政であって欲しい、と強く願います。

就学相談の意味とは…

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