学校改築設計に見る~これが文京区の共生社会実現の本気度!?

◆東京都のユニバーサルデザインガイドライン

基本的にだれもが同じ動線で利用できる経路となっている(特別な経路を設定していない)」こと。 

これは、東京都が作成した「ユニバーサルデザインガイドライン」で求めていることで、障害の有無で動線を可能な限り分けないようにすることで、公平性(だれもが同じように)を担保し、共生社会を実現しようとするものです。

 

◆東京オリンピック・パラリンピックの理念

この夏、開催された東京オリンピック・パラリンピックの重要な理念として掲げられたのは、「共生社会」の構築です。 

障害の有無で動線を分けない、共生社会をめざす設計がなされた公共施設であってこそ、まさに、東京オリンピック・パラリンピックのレガシー、次世代に引き継ぐ、共生社会を目ざす遺産になるのではではないでしょうか。 

また、2019年12月、参議院国土交通員会で、れいわ新選組・木村英子議員が新幹線について「車いす利用者にとって、一編成あたりの車いすスペースが2席設けられているだけでは、数や広さが不十分だ」と問題提起したことを契機に、国交省は、これまで1編成あたり1~2席分の設置を義務付けていた基準を、3~6席以上に改定しました。新たに投入する車両から適用となります。 

東京オリンピック・パラリンピックの開催国としては、当然、すべきことです。

◆では、文京区の現状は?

公共施設の設計には、その行政の考えが色濃く出るものです。 

文京区は、「障害の有無で動線を分けない」という必要性を感じているとは、とても思えない残念なものです。 

東京オリンピック・パラリンピックの開催が決定したのは2013年。 

文京区が、区立明化小学校、柳町小学校の改築のための設計に入ったのが2017年です。 

その当初から、エレベーターを利用するには、通常の動線とは大きくかけ離れた校舎の端まで行かなければならないものでした。 

◆一度外に出て遠回りすることも!?

さらには、柳町小の場合、校舎内に作られているホールの中を通り抜けなければならないもので、ホールが利用中の時は、その中を通るか、いったん外に出てエレベーターまでたどり着かなければならないような作りです。 

また、幼稚園側からエレベーターを利用するには、エレベーターに通じるドアのカギをあけてもらう必要があります。 

階段を利用するのに、皆さんはいちいち、だれかに声をかけて利用するでしょうか。エレベーターを自由に利用できないことは、自由に移動する上での「障害」に他なりません。

柳町小学校 改築設計平面図

かつて、車いすを必要とするお子さんの親御さんから「修学旅行で東京駅で集合だけど、通常なら改札から余裕をもっても10分もあればたどり着けるけど、エレベータやスロープを利用していかなければならないから、30分近くかかる」という話を聞いたことが忘れられません。 

今、車いすを利用していなくても、いつかは誰もが利用する可能性はあります。 

自分の大切な誰かかもしれません。

◆障害当事者団体からも要望書

2018年には、全国97の障害当事者団体から構成されたDPI(障害者インターナショナル)会議から文京区に対して、「柳町小学校・明化小学校のエレベーター設置位置の見直しのお願い~障害の有無によって場を分けない真のユニバーサルデザインの実現」と題した要望書が提出されています。 

DPI障害者インターナショナル日本会議から成澤区長への要望書

要望書が出された2018年からすでに丸3年、時間は十分にありました。 

しかし、いまだにエレベーターの位置は変更されていません。 

理由を尋ねると、「すでに1期工事が始まってしまっていて、もうここまできたから」だそうです。 

ずっと「すでにここまできたから・・・」の繰り返し。何が「ここまでか」は理解できません。つまりは、当事者の声に耳を傾けてこなかった、聞き流してきた結果として、「もうここまで進んでいる」というアリバイを作って来ただけのことです。 

当事者の要望を叶えてこそ、共生社会を実現する環境を整備できます。しかし、どうやら、区は、聞く耳は持っていません。 

2期工事はまだ先です。順調に行ったとして、明化小学校の2期工事は令和5年7月から、柳町小は令和5年1月からです。時間はまだあります。間に合わせるべきことではないでしょうか。 

時間を言い訳に、障害の有無で分ける動線を、未来に向けて残すべきものであっていいはずがありません。 

エレベーターの設置位置を再検討して、障害の有無で動線を分けない設計にすることは十分に可能です。エレベーターがない校舎に後付けでつけようというのではなく、新たに校舎を建て替えるのですから。 

国際社会も、日本も、東京都も、「共生社会の構築」を目指している時代です。 

車いすを使う方たちにとって、階段を利用する人に比べて多くの時間がかかってしまう移動を強いるような社会的障壁は、なくすように改善するのが行政の使命です。

◆文京区議会本会議で区長に質問したら!?

多くの自治体の首長は、共生社会に向けたまちづくりを語ります。
文京・成澤区長が掲げているのは「だれもがいきいきと暮らせるまち」です。共生社会の実現を掲げています。 

区長に、車いすを利用する人たちにとって障壁となる設計をどこまで改善するつもりがあるのか質問しました。

Q:海津質問 
車いすの子どもはエレベーターを利用するために、階段を使う子どもとは動線が分けられて大回りを強いられます。教育委員会は「教室2つ分ぐらい遠いだけで差別ではない」との考えです。
車いすを利用する区民からは「新しく校舎を作るのになぜ遠回りさせるような設計をするのか」と憤りの声があがります。
今後50年活用する学校施設の設計が、昭和の時代のように「とりあえず」エレベーターを付けて、子どもたちに、「障害のある人は遠回りしてもしょうがない」と刷り込むような設計について区長のお考えを伺います。 

A:成澤区長答弁
公共施設の設計については、ユニバーサルデザインの考え方に基づき、障害の有無に関わらず、利用者が円滑に利用できるように配慮しております。その上で、具体的な諸室の配置や動線については、階段、エレベーターも含め、整備する施設の諸条件に応じて、総合的に判断し、計画していると認識しております。

「利用者が円滑に利用できるように配慮している」 

というのは、自己欺瞞(ぎまん)に過ぎないと私には聞こえます。 

「教室2つ分ぐらいでは、たいした遠回りではなく、差別にはならない」という考えのもとに作られた設計を、「配慮している」と堂々と言えてしまう、その感覚に違和感が拭えません。

◆「共生社会の実現」を掲げても、実際はやらないよ宣言?

要するに、「このまま、変える気はない」というのが、区長以下文京区の考えです。
その理由は大きく2つ。 

①差別ではない=自分たちは正しい
②すでにここまで進んでいるから変えられない
 


社会が求めている必要性に気が付きながらも、その場その場で変えられない理由を並べたてるだけです。その論拠はおおむね上の2つに集約されます。 

一度決めたことは、間違っていたことがわかっても、けっしてそれを認めず、変えようとしない。悪しきお役所文化が繰り返されています。 

文京区は、障害のある人の障壁を無くすという、今や時代のコンセンサスである「共生社会実現」の基本的なことを行うつもりがない、と宣言しているに等しいと私には思えます。 

◆子ども達に「共生できないのは仕方ない」と刷り込む教育

もし、子ども達から問われたら、何と答えるのでしょうか。
「いろいろ事情があって仕方ないんだよ」とでも言うのでしょうか。 

これを聞いた子ども達は、「いろいろ事情があったら、障害のある人は区別しても仕方ないんだな」と学ぶことになるでしょう。
当然、「いろいろな事情」というものは難しいので、「障害のある人は、区別しても仕方ない」と刷り込むことになるでしょう。 

問いかけずとも、日常的に目のあたりにしていれば、子どもは自然に学びます。 

さらには、障害のある人はわかりやすい人ばかりではなく、社会が障壁になっている生きづらさを抱えている人はたくさんいます。 

「自分もそうなるかもしれない」という想像力を身につけてもらうのも学校教育の使命です。
そんな人を「区別しても仕方ない」=「区別されても仕方ない」と学んでしまうことは、誰ひとり幸せにしない未来、実に悲しい、時代に逆行する教育です。 

SDGsのスローガンである「誰ひとり取り残さない」という重要な視点も踏まえて、学校など公共施設を計画していくことが重要です。 

また、行政が公共施設をどう作るかは、文京区という「まち」の将来像のプレゼンテーションでもあり、区の「考え方」が具体化したものであるとも言えます。 

文京区が、車いすを利用する方々にとって、社会的「障害」と言える遠回りを強いるような設計を、新築にもかかわらず改善するつもりがない現状に対して、ぜひご意見を聞かせてください。

これは文京区だけの問題ではなく、どの自治体でも行われている、あるいは、行われていくことかもしれません。


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