令和7年9月文京区議会本会議質問(1/3)
9月11日に私、海津敦子が本会議で一般質問を行いました。
区長・教育長それぞれへの質問と、それぞれの答弁を一問一答形式に編集して共有します。
また、各答弁に対する「海津の考え」も付記しました。長いので、3回に分けて投稿して行きます。
ぜひ、お時間のある時に、ご興味のある項目をご覧の上、区長・教育長の考えにご注目頂き、ご意見を聞かせて下されば嬉しいです。
目次(クリックすると移動します)
1. 重大な不正事案の扱いと内部統制・危機管理対応について
1. 海津質問
まず、区政への信頼を根本から揺るがす問題について伺います。
ある職員が、区長・副区長・部長・課長の印鑑を無断で作成・使用し、決裁を経ずに予算流用を繰り返していたことが明らかになりました。予算流用とは、本来の目的とは違う用途に税金を使う行為です。今回はその決裁を偽装し、公文書まで偽造して行われた、明らかな故意による不正でした。
ところが区は、この事案を「重大な運用上の不備」として内部統制報告書に整理し、公表しました。内部統制とは本来、不正を防ぐ仕組みであり、再発防止のためのものです。ところが今回は、不正を隠すための隠れ蓑に使われたのではないか――そう思わざるを得ません。
服務規律違反や刑事責任が確定する前に、なぜ「不備」として矮小化し、内部統制で処理したのか。これは不正の重大性を軽視し、隠蔽と疑われても仕方のない対応です。
しかも、その判断に至る経緯を示す記録は一切残されていません。なぜ、記録がないのか。誰が、いつ、どこで、どんな議論を経て「処分より先に内部統制で報告する」と決めたのか。通常であれば内部統制推進本部といった正式な会議体で議論し、記録を残すべきです。ところが第1回の本部会議は、すでに作成済みの報告書案を追認するだけの場でした。
区民の皆さん、これで本当に納得できますか?区政の根幹を揺るがす不正を「不備」と言い換え、責任を曖昧にする。これは区への信頼を深く傷つけるものです。
1. 区長答弁
本区では、財務に関する事務及び個人情報に関する事務を内部統制の対象事務としております。
ご指摘の件については、財務に関する事務である予算流用処理の不適切な事案であることから、内部統制における重大な不備として公表したものです。本件は、内部統制の基準に則り対応したものであり、その適否を議論するものではないことから記録等はございません。
また、本件は、職員の服務規律違反というだけでなく刑事責任にも該当し得る事案であり、その点については、内部統制評価とは別に懲戒事案として厳正に対処すべきものであることから、複数の関係者に対して聞き取りを実施するなど、事実関係の正確な把握に努めた上で、処分を決定しております。
本区では、地方自治法第150条第4項に規定する報告書の作成においては、毎年6月の内部統制推進本部幹事会及び、7月の内部統制推進本部において意思決定の上、前年度の事務執行に係る内部統制評価報告書を取りまとめており、幹事会と本部の記録は残しております。その後、監査委員の審査意見を付けて、同条第6項の規定により9月の区議会定例議会に提出をしております。本年も例年通りのスケジュールで進めてきたところであり、会議資料については庁内においても共有されております。 一方、今回の服務規律違反に係る事実関係の把握には一定の時間を要したことから、結果的に処分の決定が内部統制評価報告書の取りまとめの時期よりも後になったものであり、何らの意図があったものではございません。
したがいまして、本件を内部統制上の重大な不備として取り扱ったことが、あたかも不正を隠すため、矮小化するため行われたとのご指摘は、全く当たらないものと認識しております。
1. 海津の考え
区長答弁は「基準に則り対応した」と繰り返すのみで、誰が、どの段階で、どんな判断をしたのかという核心を避けています。内部統制とは、不正を防ぎ、記録を残す仕組みであるはずです。その枠組みの中で「記録がない」と答弁すること自体が、統制の欠落を示しています。
区民の信頼を回復するには、制度上の説明よりも、なぜ組織として不正を見逃したのかを自ら検証する姿勢が必要です。「適正だった」という自己完結では、再発防止にはつながりません。
2. 補助金申請事案の扱いについて
2. 海津質問
さらに問題なのは、上司への報告もなく、東京都への補助金申請等を5件行っていた事案です。これは区議会にも報告されず、内部統制報告書にも一切含まれていません。庁内でも把握していない職員が少なくないのが実態です。
予算流用は「組織的な意思決定を経ない行為」として問題視されたのに、補助金申請はなぜ対象外だったのか。判断基準の違いは何に基づいたのか。どこで誰が議論し、どう結論づけたのか。この件もまた、記録も説明も残されていません。なぜでしょうか。
基準が不透明なままでは、内部統制の公平性や信頼性が損なわれます。
まして、公文書偽造という重大不正が「内部統制処理」に格下げされていることに、区民が納得するでしょうか。
2. 区長答弁
今回の補助金申請事案については、関係機関の確認や協力を得て、その事実確認を慎重に行っていく必要があり、内部統制評価報告書を取りまとめる時点において、重大な不備に該当するか否かの判断が困難であったため、当該報告書には含めず、今後の内部統制推進本部にて諮る予定です。
また、本件及び先程の予算流用の件については、内部統制評価とは別に、服務規律違反として職員の懲戒処分を既に行っており、「内部統制処理に格下げ」とのご指摘は全く当たらないものと認識しております。
2. 海津の考え
補助金申請を「判断が難しかった」として報告書に含めなかったのは、区のガバナンスの甘さを象徴しています。発覚後に処分を行ったとしても、「不備」と「不正」を区別できないまま処理した事実は残ります。内部統制とは、基準に当てはめることより、誠実な説明責任を果たすことが本質です。区民が知りたいのは、再発防止策ではなく「なぜ同じ組織で続いたのか」。形式的な答弁で幕を引くのではなく、透明性を最優先にした見直しが不可欠です。
3. 危機管理としての初動と情報共有
3. 海津質問
この不正事案は4月の段階で発覚していたにもかかわらず、部長級に共有されたのは7月の庁議が初めてでした。区長・副区長・部長・課長の印鑑が無断で作られ、公文書が偽造され、補助金も勝手に申請されていた――にもかかわらず、3か月も情報共有が遅れたのです。
危機管理の初動として、これは著しく不適切です。
発覚時点で「他でも起きているかもしれない」という危機感を持ち、総点検を行うべきではなかったでしょうか。
誰が、どの段階で、どの理由で情報共有を制限したのか。情報公開をかけても、その過程を示す記録は一切残されていません。これでは検証もできず、危機管理体制の不全と隠蔽体質が浮き彫りになります。限られた範囲で対応を完結させ、その中で報告書の内容まで決められていたとすれば、再発防止にも説明責任にもつながりません。
3. 区長答弁
本件は、先程も申し上げたとおり、服務規律違反というだけでなく刑事責任にも該当し得る事案であり、事実関係の正確な把握が必要であったことから、情報を共有するまでに一定の時間を要したもので、共有を制限したものではなく、事案の全容把握後に庁内に対し服務規律の確保について要請したところです。
また、内部統制評価報告書において重大な不備事案として整理しており、今後の再発防止とともに適切な危機管理対応に努めてまいります。
3.海津の考え
発覚から3か月間、情報共有がなされなかったことを「全容把握に時間がかかった」と説明していますが、危機管理において最も重要なのは初動です。被害の拡大を防ぐために、まず共有し、次に精査するのが鉄則です。区民の税金を扱う組織として、情報を握り込むことで結果的に信頼を損ねました。危機管理を「事実把握の速度」と「共有の透明性」の両輪で再構築しない限り、文京区の統治能力は問われ続けます。
4. 予算流用の実態と組織的課題
4. 海津質問
文京区では、年間1000件以上の予算流用が行われています。これは単なる一部職員のモラル問題ではありません。
予算流用は、本来は例外的にしか認められないものですが、物価高騰や突発的な区民ニーズに応えるためなど、やむを得ず行われる場合もあります。
それでも、1000件以上という数字は、当初予算見積もりの精度に問題があるのではないか。あるいは、最初から流用を前提とした予算編成が慣行化していたのではないでしょうか。
こうした疑念を区民は拭えません。さらに、無断使用が長期にわたり見過ごされていた事実は、チェック体制や内部統制が機能していなかった証拠です。
区長、この一連の事案をひきおこした職員の逸脱」と片付けるのですか。それとも、文京区全体のガバナンスの脆弱性と受け止め、組織的改革に取り組むのか。
区の姿勢こそが問われています。
4. 区長答弁
予算の流用についてのお尋ねですが、
毎年度の予算編成においては、各事業に必要な予算を適切に判断するため、各部との綿密なヒアリングや調整を重ねるとともに、過去実績や事業者からの見積書等も踏まえ、財政部門でその実施内容や経費の妥当性を慎重かつ厳格に判断しております。
その上で、地方自治法に基づく流用手続きは、歳出予算の執行上やむを得ない場合に限り、議決予算の趣旨を損なわないよう配慮しつつ認められるものです。具体的には、物価高騰、人件費及び災害対応などに係る経費の増に対応する必要から、結果として、毎年度一定数の流用が発生しております。このため、「当初予算見積もりの精度に問題があった」、「流用を前提とした予算編成が慣行化していた」とのご指摘は当たらないものと認識しております。
次に、一連の事案に対する認識についてのお尋ねですが、本事案を職員個人の問題とするのではなく、内部統制上の重大な不備事案と捉え、不正をリスクとして位置付けることで、組織として再発防止に向けた取り組みを進めてまいります。
4. 海津の考え
区長は「法に基づく正当な流用」と答弁しましたが、年間1000件を超える流用が常態化している事実を軽視しています。制度上の正当性と、区民感情としての「納得」は別問題です。頻発する流用は、当初予算の見積精度や内部統制の機能不全を示すものであり、個人の不正にとどまりません。
区が「組織の問題」として改革に踏み出せるかどうかが、信頼回復の分岐点です。形式的な手続き説明だけでは、区民の疑念は拭えません。
5. 国際バカロレア教育と随意契約――本当に公正だったのか
5. 海津質問
次に、教育政策と契約の透明性に関する問題です。
7月、文京区教育委員会と国際バカロレア機構(IB)が共催したシンポジウムが開かれました。IB機構の総裁が登壇する、大変貴重な機会でした。けれど、当日の運営には強い違和感がありました。
主催は教育委員会のはずです。ところが開会あいさつをしたのは区長。教育長は最後まで登壇せず、代わりに課長が教育の方向性を語りました。教育委員会制度は、本来、政治から独立して教育の方針を決める制度です。教育長が出ないで区長が前面に立つのは、制度の趣旨から大きく外れています。まして、教育長は、2005年から2年間。アメリカにお子様を同伴し海岸赴任した経験があり、今回の「世界に向けた学びのプロジェクト」に関して、その経験と日頃の見識をパネリストとしてご披露頂く、絶好の機会でもあったかとも思います。教育委員会が主催する教育を語る公の場に、教育長の立場が見えてこなかったことに違和感がぬぐえません。その判断は、どこで、誰が、どのように行ったのでしょうか。
さらに問題なのは、IB教育をめぐる随意契約です。昨年10月、IB機構側は「著作権の関係で研修プログラムはスマイルバトン社しか提供できない」と説明し、区は同社と随契に向け進めました。
ところが今年3月には突如「著作権の管理上、SILVER FERN HOLDINGSでなければできない」と説明が変わり、区は随契しました。わずか数か月で「唯一の提供者」が入れ替わる――これは誰が聞いても不自然です。疑問を抱かなかったのでしょうか。調べてみると、このSILVER FERN社の代表は、文京区との打合せを担当していたIB機構側の人物。つまり、自分が「この会社しかできない」と説明し、その自分の会社と契約を結ばせていたのです。利益相反の疑いを持たれて当然です。
しかもこの人物は、文京区教育委員の清水委員、そして区長ご自身と同じ団体「世界イマーシブラーニング推進協会」で役員を務めています。
教育委員、区長、契約相手が同じ団体で役職を持ち合う――これを偶然と片付けられるでしょうか。
区はこの関係を契約時点で把握していたのか。
把握していたならなぜ第三者の検証を行わなかったのか。
把握していなかったなら、なぜ最低限の確認すらしなかったのか。
区民は説明を待っています。
5. 教育長答弁
シンポジウムにおける教育長の登壇についてのお尋ねですが、 シンポジウム全体の時間的制約から教育長による挨拶は見送りました。また、本区の学校で指導経験がある教育施策推進担当課長がパネリストとして適任であると私が判断いたしました。 このことが教育委員会制度の趣旨から外れているとは考えておりません。
次に、事業者の変更についてのお尋ねですが、 国際バカロレア機構が内規に従って適切に事業者を変更したものと認識しております。
次に、関係者が同じ団体で役職をもつことについてのお尋ねですが、議員ご指摘の団体への加入・所属は、教育委員会として関知する立場にはないと認識しております。 次に、国際バカロレア機構と連携した教員研修に係る随意契約についてのお尋ねですが、 「世界イマーシブラーニング推進協会」に関することは一切把握しておりません。
また、国際バカロレア機構に、本研修プログラムは、日本国内においては、当該事業者のみにしか提供できないことを確認いたしましたので、それ以上の確認は不要であると判断いたしました。
5. 海津の考え
教育長の答弁には、制度の本旨への理解の浅さがにじみます。教育委員会制度は、政治的中立を保ち、教
育行政の独立性を守るためにあります。その主催する場で教育長が姿を見せず、区長が前面に立つことを「問
題ない」とする感覚こそ、制度形骸化の象徴です。また、「IB機構が適切に事業者を変更した」との答弁も、
区としての検証責任を放棄するものです。説明が変わり、関係者が重なる中で第三者の確認を行わないの
は、内部統制の根幹を揺るがします。教育行政に求められるのは“ 信頼” であり、“ 追認” ではありません。
6. こどもの権利は、“使える状態”で保障されているか
6. 海津質問
文京区はいま、「こどもの権利条例」をつくろうとしています。すべての子どもが、自分らしく、安心して育ち、学び、遊べるまちを目指す。その理念には私も強く共感しています。けれども、今の現実とズレてはいないでしょうか。
障害や発達・感覚・言語に特性のある子どもにとって、制度が「一律」にあるだけでは権利は“使えません”。「意見を言える」と書かれていても、会場に行けなければ、言葉にできなければ、伝える手段がなければ、それは“あっても使えない”権利です。
読み書きが苦手な子、感情を言葉にするのが難しい子、日本語に支援が必要な子もいます。そうした子たちに合わせて支援を整えることこそが、初めて「保障された権利」です。
けれど現実には、合理的配慮を求めても「特別なことはできません」と断られた――そんな声が今も届いています。
条例素案では、区や学校の責任は「努めるもの」とされ、合理的配慮さえ努力義務に引き下げられています。なぜ後退させる必要があるのでしょうか。
条例は理念だけでなく、「最低限ここまではやる」と明記すべきです。
「差別してはならない」と掲げるなら、義務として書き込むべきです。
理念だけで終わらせず、すべての子どもの権利が“使える状態”で守られる条例にしていく。その原点を問い直すべきです。
6. 区長答弁
「(仮称)こどもの権利に関する条例」は、こどもの権利に関する区の基本的な考え方を示す理念条例であり、この条例の趣旨を踏まえて関係各課が施策に取り組むことにより、こどもの権利の保障を推進していくものです。
障害のある方への合理的配慮の提供については、障害者差別解消法において義務として規定されており、条例の素案では、差別の禁止について、基本理念や具体的なこどもの権利の項目として規定する内容としております。
6. 海津の考え
理念条例だから努力義務で十分、という答弁は、権利保障の本質を誤っています。子どもの権利は「あること」より「使えること」が重要です。言葉にできない子、支援を要する子が声を届けられる仕組みを整えることこそ、実質的な権利保障です。
合理的配慮を努力義務にとどめる現行素案では、差別の是正も進みません。理念だけでなく、行政と学校が負う最低限の義務を明記し、誰もが等しく行使できる条例に改める必要があります。
7. 学校設計にこそ、権利を宿らせるべき
7. 海津質問
こどもの権利条例の理念が掲げられても、それが学校や園の設計に活かされなければ、子どもたちの日常の中では「絵に描いた餅」にすぎません。
理念と現場の矛盾を放置せず、設計の段階から、子どもの権利を組み込むこと。
その一歩が、真に権利が保障される教育環境につながると考えます。
7. 教育長答弁
「こどもの権利に関する条例」の理念の重要性は認識しており、これまでも学校等で子どもの意見を聞いてきたところです。今後の改築に当たっては、子どもの意見を聴取できる取組みの充実について検討してまいります。
7. 海津の考え
教育長は「子どもの意見を聴取できる取組みを検討」と述べましたが、設計が固まった後の聴取では意味がありません。
権利条例の理念を活かすには、設計段階から子どもが意見を言える仕組みを制度化することが不可欠です。教室配置や動線、遊び場のあり方――それらはすべて「子どもの日常の権利」です。条例を現場に生かす具体策がなければ、理念は空洞化します。権利を「設計に宿す」ことが、未来への責任です。
*****
最後に、、、
ここに記載した質問は、事前に区へ提出したものです。本会議質問では、質問に与えられた 30 分に収ま るように、下線部分以外は、読み上げていない箇所もあります。答弁は、事前に出した質問《ここに記載 した内容》を元に作成されています。
▼議会中継(録画)は以下からご覧いただけます
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